陶芸家達は、古窯址で発掘した陶片とその周辺で採取した陶土や釉薬の原料を手がかりに、在りし日の作陶技法を解明しようとしました。こうした取り組みは、陶芸家同士の交友関係によって産地を超え「桃山復興」と呼ばれる断絶した伝統工芸を再び確立させる運動となります。唐津藩御用窯の12代中里太郎右衛門(後の人間国宝・中里無庵)も、古唐津の「斑唐津」「朝鮮唐津」の釉薬や、前出「肥前の大甕」の製造現場から叩き作りの技法を学び水指などの茶陶として復活させます。これらの土味を生かした素朴で力強い古唐津の作風を復興しつつ、古唐津の模倣ではない独自の作品を生み出し、現代唐津の先駆者となりました。
続く戦後の作家達も、一度は途絶えた古唐津の原点に回帰し、作家の個性と芸術性を追求する事により唐津焼全体の伝統工芸としての評価を高めていきました。昭和以降は作家の制作したものが唐津焼の中心となり、大量生産は行われなくなりましたが、古唐津に倣って自ら土を探し釉薬を作り、薪窯で焼くという一度は失われた唐津の伝統工芸を復活させたのです。
現在、古唐津復興後に開窯した窯元、そしてその2代目や、自ら開窯した若い世代を含む70以上の窯元の作家達が古唐津の伝統に向き合い、唐津焼という技法に新たな伝統を築くべく、作陶に励んでいます。
※使用画像については、佐賀県立九州陶磁文化館所蔵品となります。